1999年、まだ介護保険制度もなく

全国の介護施設が今よりずっと少なかった時代

震災をきっかけに、

"人と寄り添う場所をつくりたい"

という想いから始まった場所がありました。

その現在のすがた、始まった当時の想い、

これまでの道のり、これからの未来について

写真を交えながらお伝えいたします。

 

                     インタビュー: 株式会社 アクセス 代表取締役

田端 千英さん

 

過ごす、楽しむ 

みんな一緒に。

写真でみる、現在のすがた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今までのこと

これからのこと

アクセスのこれまでとこれからを伺いました。

田端 千英さん

生命保険会社に就職した後、震災を機に介護業界へ転身。

"人と寄り添う場所"を目指して1999年に株式会社アクセスを創設し、

現在もケアマネージャーとして多くの方々の生活をサポートを行っている。

また、地域交流の場としてコミュニティカフェ"暖家支援 Danke schön"、

企業主導型保育事業所"暖家きっず"を開設し地域に密着した支援事業を展開している。


"寄り添う"の
意味を考えて

アクセスを立ち上げる前は生命保険の会社に勤務しており、

トラブルを抱える人々を保険という形で支える仕事をしていました。

1995年に阪神淡路大震災が発生し、日本が大きな被害に遭いました。

そして、被災した方々を見た時、

いざという時に困っている人を支える事ができない無力感が自分の中に残りました。


”もっと近く、人に寄り添いたい”


あの日、そう感じた私は仕事を辞め、全く経験がなかった介護の世界へと進み始めました。

そして、もっと近く人と寄り添うことの出来る場所を創ることを決意しました。


経験も
前例も無い中で

以前の会社を退職する時、その時部下だった2人が私と一緒に介護の世界へついてきてくれると申し出てくれました。

介護業界の経験が全くなかったにも関わらず、それでも共に進んでくれると決めてくれたことが嬉しかった反面、

同時に仲間の人生を背負うため、より一層覚悟を決めて臨まなければいけないと感じました。

とはいえ当時の私に介護業界のノウハウは無く、

ましてや日本で"介護"という枠組みや制度が国によって定められる前(介護保険制度が無かった)で、業界全体でも前例が少ない時代でした。

しかし、前職の仕事の関係で看護師や医師とのつながりがあったので、ケアマネージャーの資格を取得をしてもらう等事業のサポートをしてもらいました。

また、当時政府が「福祉の民営化」を掲げていた事もあり、銀行からの資金融資も得ることができました。

こうして、居宅介護支援事業(介護サービスの計画立案)や訪問介護事業(ホームヘルパーの派遣)を起点に事業を展開する株式会社アクセスが生まれました。

"アクセス"という名前は、身近に寄り添える支援者でありたいという想いを込めてつけました。

そして人と人を繋ぐ架け橋という役割を担い、地域から選ばれ必要とされる事業者でありたいと今でも願っています。

必要とする声が
事業となり、
制度となった

会社を設立した当初は、今のように介護保険という制度や介護に対する国の具体的な指針もなく、

手探りで事業を展開することとなりました。

その中で、ヒントは常に利用者様の"声"にあると気付いたエピソードがあります。


アクセスが拠点を置く東京都大田区は1階で工場を営み、2階で居住する世帯が多くありました。

そういった構造上、階段の上り下りができない高齢者がやがて寝たきりになってしまうケースが多く見られました。

ある時、気分転換にと寝たきりの利用者様をおんぶしてオフィスの事務室に連れて行き、そこで一緒にご飯を食べました。

後日、利用者様のご家族から"母親が部屋からいなくなった"と電話がありました。

前述の通り、寝たきりの利用者様だったので何が起きたのか検討もつきませんでした。

その利用者様は、階段の下で風呂敷を持って待っていたのです。

自分で風呂敷に荷物をまとめ、階段を降りて、また事務室でご飯を食べるために。

その時、その利用者様は居場所を求めていた事に気付きました。

そして、その気持ちが与える力の大きさを知ったこの出来事は、今でも忘れられない思い出です。

「同じ空間で一緒に過ごして、一緒にご飯を食べる」という事は一見何気ないようにも思えます。

今では日本中に普及し、アクセスでも開かれているデイサービスの原体験は、

こういった声に寄り添うところから始まりました。

"一緒に過ごし、一緒にご飯を食べる"


もう一つ、利用者様とのエピソードがあります。

利用者様のご家族から、"夜間にオムツを代えられないから事務所に父を泊めてほしい"との要望がありました。

当時は日本でも宿泊介護サービスはほとんどなく、アクセスでも宿泊者に対応できるような施設はありませんでした。

その結果、その日は事務所のソファで一緒に過ごしました。

翌日ご家族から感謝の言葉をいただき、寄り添うことの大切さを改めて確認しました。

この経験が後に、アクセスではショートステイ(短期間施設に入所し、食事や入浴などを行うサービス)という形に活きるきっかけとなりました。


アクセス設立当初は、綿密な計画を立てずにひたすら突き進んできましたが、人々の必要とする声に向き合った結果

その声が事業となり、国の制度となり、これまで20年余りに渡って進み続ける事ができました。

"寄り添い、必要とする声に向き合う"

居場所の所在

様々な思い出や支えの上に今があり、こうして20年以上この業界に携わる事ができました。

これまでの経験を通して学んだ事の一つは、「居場所の在り方」です。

人にとっての居場所は常に同じ場所はないと考えています。

その時々の意志により、その人によって決められるものです。

しかし、中には喋る事が困難な人や過去を忘れてしまう人もいます。

そんな時、声なき声を聴く事が、よりよい居場所づくりに必要な事だと知りました。

時に、言葉で自分の気持ちを表現する事が難しい利用者様の代わりに、息子様や娘様が本人の気持ちを代弁して下さる場面があります。

そのような場面において、ご家族だからこそ分かる事を教えていただくと同時に、

スタッフだからこそ気づける事もあると考えています。

利用者様の声や訴えを多方面から拾って、行きたくなるような居場所を創っていきたいと思っています。

"それぞれの居場所"を探して

苦境の先に

2021年現在、世界中で新型コロナウイルスが脅威となっており、依然として収束する様相はみられません。

身体的な恐怖はもちろん、精神的にも不安を増長させ、人々の社会生活に影を落とし込む恐ろしさがあります。

現在アクセスは感染対策を徹底し、利用者様には安心して過ごしていただけるよう、

こんな時だからこそ心で寄り添う気持ちを一層大切にしてお迎えしております。

しかし介護施設は人が集まる場所であるため、コロナ禍において逆境に立っている状況です。

国からの助成制度も少しずつ整えられていますが、複雑な手続きのために人手を割かなければいけません。

スタッフは通常の業務に加えて、消毒・清掃や安全管理により一層多くの時間を費やすこととなり、

誰にでも付き纏う見えない恐怖に加えて、このような負担の増加による心理的なストレスも、常に気にしていかなければいけません。


利用者様やスタッフのみんなには、"寄り添いたい"と同じく"夢を与えていきたい"という気持ちを抱いてここまで歩んできました。

しかし未だに暗いニュースが多く、人としての暮らしを心から楽しむという事の難しさを実感せざるを得ません。

もう一度利用者様が、スタッフ全員が寄り添い合って、

互いに夢を与え合いながら楽しむ事のできる場所を提供するためでできることを考えていきたいと思います。

支え合い
繋いでいく

最近、若い世代の人からエネルギーを分けてもらっている事に気付きました。

先日開催された東京オリンピックの新競技であるスケートボードを観ていた時、10代や20代の選手達に感情を揺さぶられ、

気づけば前のめりになって見入ってしまいました。

私達の世代にはスケートボードは余り知られておらず、競技化されると聞いた時は驚きました。

もしかしたら、自分の子供がスケートボードをしたいと言い出したら止めてしまっていたかもしれません。

しかし今までのスケートボードに対する自分の価値観と、実際に目にした感動を自分の仕事に置き換えた時、

介護業界に進んで経験も積んできた一方で、

時にその価値観が若い世代の成長を妨げてしまっているのではと不安になりました。

これからは、若い世代の人からエネルギーをもらう代わりに、

私からは経験を以て若い世代の人たちを支えていき、その次の世代へとバトンを繋いでいけることを願っております。


株式会社アクセス 羽田事業所

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